永瀬廉のカスジュ時代を徹底解説|関西Jr.からKing & Princeへの軌跡
Ava Hall
Updated on July 19, 2026
「カスジュ」という言葉を耳にしたことがあるだろうか。ジャニーズファンの間では広く知られるこのスラングは、「関西ジャニーズJr.」の略称として使われてきた。そして、その関西Jr.から頂点まで駆け上がったアイドルの一人が、King & Princeの永瀬廉だ。彼の「カスジュ時代」は、単なるデビュー前の下積みではない。現在の永瀬廉を形作った、濃密で重要な青春の記録である。
永瀬廉とは誰か——基本プロフィールから振り返る
永瀬廉(ながせ れん)は1999年1月23日生まれ。日本のアイドル、歌手、俳優、タレントであり、男性アイドルグループKing & PrinceおよびMr.KINGのメンバーだ。愛称は「れんれん」で、「全角度国宝級」という異名を持つ。一見、華やかなスターのように見える。だが、その裏側にあるのは、10代の頃から積み上げてきた地道な努力の歴史だ。
幼稚園の年長から小学2年生、そして小学校6年生から高校1年生まで大阪で育った。2011年、12歳の時に母親が本人に内緒で履歴書を送り、オーディションを経て同年4月3日にジャニーズ事務所に入所し、関西ジャニーズJr.として活動を開始した。
このオーディション参加のきっかけが、また何とも人間らしい。オーディションにはお母さんに「ゲームを買ってあげるから」と言われて連れていかれたそうで、ジャニーズに入ってからの仕事も最初のうちは泣きながら通っていたそうだ。輝くスターも、はじめは涙をこらえながらステージに立っていた——そんな事実が、かえって親しみを感じさせる。
「カスジュ」という言葉の意味と文化的背景
「カスジュ」とはそもそも何を指すのか。正式名称は「関西ジャニーズJr.(カンサイジャニーズジュニア)」、そこから生まれた略称がこの言葉だ。ジャニーズ事務所に所属しながらもCDデビューを果たしていない、いわゆる「ジュニア」と呼ばれるメンバーたちのうち、関西を拠点に活動する集団を指す。ファンの間では長年、愛着を込めてこの呼び名が使われてきた。
関西Jr.の特色は、バラエティ感覚と舞台経験の豊かさにある。東京のジャニーズJr.とは少し異なる文化圏で育まれたコミュニケーション能力や話術は、後に多くのメンバーが芸能界で武器にする財産となった。永瀬廉もその一人であることは、間違いない。
入所直後から加速したカスジュ時代の第一歩
当時大阪に住んでいたため、関西ジャニーズJr.として活動することになった永瀬廉。入所してわずか2ヶ月で関西ジャニーズJr.数名とユニットを結成した。この速さは異例だった。ほとんどのジュニアが、まず先輩のバックダンサーを経験しながら徐々に自分の場を広げていく中、永瀬はほぼ即戦力として動き始めた。
2011年、関西ジャニーズJr.内ユニット・Aぇ少年のメンバーとして活動。2012年には西畑大吾、大西流星とユニット・なにわ皇子を結成した。
入所翌年の2012年7月24日には「なにわ皇子」というユニットを新たに結成。メンバーは永瀬廉、西畑大吾、大西流星の3人。なにわ皇子として雑誌に載ったり関西ジャニーズJr.のコンサートに出演したりしながら、ユニットとしての人気を獲得していった。西畑大吾と大西流星は現在、なにわ男子のメンバーとして活躍中。当時の「なにわ皇子」が、後のジャニーズを担う人材の温床だったことは今振り返れば、驚くほど豪華なメンバー構成だった。
まいど!ジャーニィ〜でつかんだテレビの世界
2012年10月3日からは永瀬廉がレギュラー出演するバラエティ番組『まいど!ジャーニィ〜(通称・まいジャニ)』が放送開始となった。これは関西ジャニーズJr.のメンバーたちにとって、貴重な全国露出の機会となった。
番組を通じて磨かれたのは、単なるダンスや歌唱力だけではない。カメラの前での立ち居振る舞い、トークのテンポ感、即興での対応力——そのすべてが、この時期に叩き込まれた。関西特有のノリとツッコミの文化が、永瀬廉のエンターテインメント性の根底に刻まれたのは、このカスジュ時代に他ならない。
学業との両立という、もう一つの挑戦
中学校時代は関西ジャニーズJr.のメンバーとして活動していたが、仕事と学業を両立させており、学校の成績はよかった。テストの成績は学年でもトップクラスだったという。
ただし、すべてが順調だったわけではない。芸能活動が増えてしまったことから、中学2年生限りでサッカークラブは辞めている。夢を追うということは、何かを手放すことでもある。サッカーへの情熱は、ステージへの情熱に変わっていった。
高校進学時に芸能活動と勉学のどちらを優先させるのか悩んだ末、芸能活動を積極的に行える大阪学芸高校への進学を決めた。この選択が、その後の飛躍を加速させることになる。
帝国劇場という大舞台——高校1年生での抜擢
その覚悟もあってか、高校1年生の秋には帝国劇場で上演された舞台『DREAM BOYS』への出演が決定。主演の玉森裕太、宮田俊哉、千賀健永に次いで、当時関西ジャニーズJr.だった平野紫耀、東京Jr.だった髙橋海人とともに主要キャストに抜擢された。
帝国劇場という、日本の舞台芸術の象徴的な空間で、まだ高校1年生の少年が主要キャストに名を連ねた。この一事だけでも、彼の才能と存在感がいかに早くから際立っていたかが分かる。そしてここで出会ったのが、後にKing & Princeを共に結成することになる平野紫耀であり、髙橋海人だった。カスジュ時代の舞台が、未来のグループの原点となったわけだ。
コンサートと舞台で積み上げた7年間の下積み
カスジュ時代の活動量は、数字で見ると圧倒的だ。2013年は一年を通して関西ジャニーズJr.の様々なコンサートにも出演。1月の明けましておめでとうコンサート、3月のまいジャニコンサートVol.1、関西ジャニーズJr.春休みスペシャルコンサート2013、4〜7月には初全国ツアー2013、8月には舞台「ANOTHER」とまいジャニコンサートVol.2、さらに12月のX'masコンサートと、年間を通じてほとんど休む間もなく舞台とコンサートに立ち続けた。
こうした経験の蓄積は、単なるキャリアの積み上げ以上の意味を持つ。舞台では毎回、観客の目の前で緊張と戦いながらパフォーマンスを届ける。ライブでは本番1発勝負のスリルを、10代の段階から体に覚え込ませた。デビュー後の永瀬廉がステージ上で見せる余裕と貫禄は、この時期の膨大な経験値があってこそのものだ。
転機——Mr.King vs Mr.Princeへの抜擢と上京
2015年、家族の転勤で東京に移住。同年6月5日に結成された期間限定ユニット・Mr.King vs Mr.Princeのメンバーに選ばれ、2016年以降はMr.KINGとして活動を続けた。
関西を拠点にしてきた永瀬廉が東京へ移り、全国区の活動へと舵を切ったのがこの時期だ。以降、関西だけでなく東京を拠点にした活動も増え始め、主にSexy ZoneなどのバックJr.として活躍し、一気に人気を集めた。
カスジュとしての時代が終わり、東京のステージへ。それは単なる拠点の移動ではなく、アイドルとしての完成形に向けた最後のステップだった。
「カスジュ」と「カスジュ時代」——ファンの間での認識と評価
ファンコミュニティの中には、永瀬廉の関西Jr.時代を語る際に「カスジュ時代」という言葉を使う文化が根付いている。それはネガティブな意味合いではなく、むしろ原石だった頃の彼を愛おしく振り返る表現として定着している。
「コツコツと確実に経験を積んで約7年の努力の末、念願のデビューが叶った」——ファンの言葉は簡潔だが、その重みは計り知れない。芸能界という競争の激しい世界で、デビューすることなく消えていったジュニアは無数にいる。その中で生き残り、頂点へと辿り着いたことの意味を、ファンは誰よりも知っている。
なお、「カスジュ」という言葉は別の文脈でも使われることがある。Jr.時代の永瀬廉に関して、一部では「やる気がない」というような批判的な声もネット上で見受けられたことがあった。しかし、上述した通り、実際の永瀬廉は入所直後からユニット結成、舞台出演、テレビレギュラーと精力的に活動を重ねており、その実績が批判を覆す最大の証拠といえる。
俳優としての芽吹き——ドラマ初出演も「カスジュ時代」のうちに
13年にTVドラマ「信長のシェフ」で俳優デビューを果たした。これもまだカスジュ時代、中学生の頃の話だ。「信長のシェフ」では森蘭丸役を演じた。中学生がゴールデン帯の連続ドラマに出演するという事実は、当時からその将来性が業界内でも認められていたことを示している。
俳優としてのキャリアがこの時点で始まったことは、後の「新・信長公記」主演や「夕暮れに、手をつなぐ」などへと繋がっていく長い伏線となった。カスジュ時代の永瀬廉は、アイドルとしてだけでなく、俳優としても確実に成長の軌跡を刻んでいたのだ。
King & Princeデビューへ——カスジュ時代が生んだ完成形
「Mr.King vs Mr.Prince」のメンバーに抜擢されると、これをきっかけに活動の場を東京に移し、「King & Prince」が結成されると、平野紫耀、髙橋海人、岸優太、神宮寺勇太、岩橋玄樹とともにメンバーに選ばれ、2018年5月23日、ファーストシングル「シンデレラガール」でCDデビューを果たした。
2011年4月にジャニーズ事務所に入所してから、2018年5月に「King & Prince」としてシングル「シンデレラガール」でCDデビューし、第69回紅白歌合戦へ初出場を果たした。入所から約7年。この期間のすべてが「カスジュ時代」であり、その一日一日が、デビュー後の永瀬廉を支える基盤となった。
カスジュ時代が残したもの
永瀬廉のカスジュ時代を振り返ると、そこには派手さよりも地道な積み重ねがある。転校を繰り返しながら、人見知りを乗り越え、学業と芸能活動を並走させ、大阪のステージから帝国劇場まで駆け上がった。「カスジュ」という言葉の背景に、これだけの密度の物語が詰まっている。
今日の永瀬廉が「全角度国宝級」と称されるのは、顔立ちの美しさだけによるものではない。10代のほぼ全てを、関西のステージの上で磨き続けた時間が、彼をそうさせた。カスジュ時代は終わったかもしれない。しかし、その時代が刻んだものは、King & Princeの永瀬廉として今も脈打ち続けている。